平成30年 甲子園100回大会
きっと今年の夏もあつくなる
プロ野球はそんなに興味がない私も、毎年夏の高校野球は熱狂する。 とかく、秋田県民は高校野球熱が高いというデータもあるそうだ。
私が小さい頃は甲子園秋田代表と言えば「金農」が常連校だった。
嶋崎元監督は母と同じ村の出身で、金農が出場すると母は得意気に「嶋崎監督は同じの村の親戚だ!すごいべ!」とよく自慢していた。
そう言えば母の旧姓も嶋崎だ※親戚かどうかの真偽は定かではなく、同じ村の出身者を称して「親戚」と呼ぶのかもしれない(笑)
当時の経法大や秋田商業、秋田高校、大曲に能代などなど、強豪校も増え、金農が代表になる機会はめっきり減ってしまった。
そして、嶋崎元監督も勇退され世代交代。
突然の金農フィーバー
こうなると、当然自分の母校を応援したくなるが、母校はまだ甲子園出場を果たしたことがない。
いつか、そんな日が来たらきっと甲子園まで駆けつけてしまうかもしれないな・・・
と、思っていたが。
まさか、本当に甲子園に行くことになるとは。
忘れもしない去年の夏。
103年ぶりの決勝まで秋田県民、東北勢の夢と期待と希望を背負って挑んだ金農ナイン。
毎試合の快進撃に興奮と涙が治まらず、同郷の仲間と今日はここがよかった、あそこが泣けた、と話すのが日課となっていたある日。
「明日は近江戦だな、なんとだべ。」
と、前日の夜も友人と熱く語っていた。
結果、数時間後には甲子園に向かって車を走らせていた私たち!!!(笑)
夜通し走ったが、期待と興奮で疲労はあまり感じなかった。
明け方になり現着。
早朝、第一試合開始までもまだかなり時間はあるのにすごい人!人!人!
そして、すでに当日券が完売という謎!
私たちは同級生が金農生徒の保護者だったコネでチケットは確約済みだったが、もし、当日券狙いで来てたら朝6時に着いてももう入場はムリだったということになる…
あらためて無謀な行動に気づいた夏の日(笑)
強豪校を次々と撃破
この夏の高校野球人気は例年以上。
だって、百回という記念大会に加えて大番狂わせと言わしめている公立農業高校の快進撃が続いているんだもの。
そう!我らが雑草軍団金足農業高校の!!!!
初戦の鹿児島実業から横浜高校など名だたる強豪校を撃破してきた雑草軍団。
おかげで毎日、仕事が手につかず大変だった。
近江戦、もしかして最後かもしれない、いや!まだ夢を見続けられるかもしれない。
わくわくしながら第四試合まで猛暑の中、とりあえず木陰で仮眠する…(危)
リポビタンDで栄養補給したら。
さすが甲子園。
寅バージョンだった^m^
午後2時。
やっと入場することができた!!!!
席の周りではもちろん秋田弁が飛び交っていたのだが、
思いの外、関西弁の人もたくさんいて金農を応援しに地元の人も来てくれているのだな。と、なんだか誇らしい気持ちになった。
ほどなくして遠く、小さく、金農ナインが見えた!
こちらに向かって一礼。全速力で駆けていく。
この年は異常な猛暑。しかし、暑さも吹っ飛ばす爽やかなナイン達。
いよいよ雑草軍団の勝負が始まる。
それと同時に私も戦闘開始、老体にムチ打ち夜通し車を飛ばし、木陰で仮眠の後
声を枯らす覚悟で応援するのだ!!!
私にとっても、まさに死闘(笑)
「がんばれー!!!!」
「よしだー!!!!」
たくさんの声援が飛び交う。
試合開始の合図でもう涙が出そうだった。
甲子園がたくさんの声援、拍手、ためいき、歓声で溢れる。
あっという間の2時間。
たくさんの名シーンがあったけど、この試合は何と言っても最終回さよなら2ランスクイズ。
どの瞬間も見逃さないように目を凝らしていたが、何が起きたのかわからなかった。
「走った!!!!????」
一瞬の静けさのあと、甲子園が揺れたんじゃないかと思うほどの大歓声。
泣きすぎてグラウンドが滲んでいた。
あの奇跡の瞬間に立ち会えたことには今でも感動に震える。
秋田高校球児は今年もきっと輝く
眩しい夏の日差しと立ち込める熱気、匂いと景色。
私は多分、この光景を一生忘れない。
横浜に移住して14年が過ぎた。
これから先、秋田で過ごした時間よりこちらで過ごす時間が長くなるかもしれない。
だけど、これからの夏も故郷秋田の球児に夢をはせる。
平成最後の甲子園での出来事だった。
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