土崎をふぐで盛り上げたい〜「北限のふぐ」の白帆・畑中蘭子さんインタビュー
飲食店 白帆、ビジネス旅館はたなか、秋田まるごと加工などの経営を通して、土崎の町おこしのために長年ふぐに携わってきた畑中蘭子さん。
土崎のふぐを「北限のふぐ」としてPRしており、現在では県内のみならず県外でも高い評価を得ています。
今回は、年に2回開催している「土崎ふくまつり」に合わせて、畑中さんのふぐや土崎に対する想い、そして今後についてお話を伺いました。
畑中蘭子さんプロフィール
畑中蘭子(はたなか・らんこ)
秋田県秋田市土崎出身。
昭和51年に土崎で「白帆」を開店、38年間の経営ののちに長男に譲る。同時に「ビジネス旅館はたなか」の経営も手がける。
好きなことは運転、ゴルフ、愛犬と遊ぶこと。
ずっと土崎でふぐと関わってきた
土崎にある「酒肴旬彩 白帆」
───まず、これまで畑中さんがされてきたお仕事についてお聞かせください。
畑中:昭和51年から母親のあとを次いで、カウンターのお店から始めたのが「白帆」です。今から41年前のことでした。
3年前に長男に譲ってからは、自分は一切口出しをせず自由にやらせています。自分も同じように、38年間好きにやらせてもらいましたからね。
秋田まるごと加工のホームページ
───「秋田まるごと加工」は、どういった目的で作られたのでしょうか?
畑中:ふぐの除毒を個人個人で行うのは大変なため、まとめてしまおうということで秋田まるごと加工を平成23年に作りました。
当時は妹(「海の宝箱」店主の渡邊弘美さん)と共同で商品の製造・開発を行い、現在は会社化して私の次男が代表をつとめています。ふぐジャーキーやふぐのピリ辛漬け、お刺身・お鍋のセットなどが人気です。
ふくまつりへの想い
第16回 土崎みなとふくまつりのポスター
───土崎みなとふくまつりは、畑中さんが始められたんですよね。
畑中:2006年に始めたので、今年で11年目。地元のお店の参加を募ってからは8年目になります。毎年、ふぐの水揚げのある春と夏に開催しています。全県にチラシをばらまいて、今では遠くから来てくれる人もいますよ。チラシに書いてある共通メニューのほかに、各店舗それぞれでオリジナルメニューも出しています。
───ランチをやっている店舗でふぐ料理をいただきましたが、どれも趣向が凝らされていてとてもおいしかったです。
畑中:土崎の町おこしのためにふぐを使いたい、という想いでやっています。
昔はよく、「ふぐは食べると死ぬ」「秋田のふぐは小さいんだろう」なんて言われたものです。
ふぐの大きさは全国どこでも一緒だし、大きいものだと10kgぐらいあるんですよ。みんなふぐのことを知らないから、イメージで言っているんです。
ふぐを食べるのが特別なことじゃなくて、習慣になってほしいというのが願いです。ふぐの白子なんて、塩をぱっと振って焼いて食べるととろとろですごくおいしいんですよ。
───まだまだ、ふぐを食べることは一般的ではないと。
畑中:最近では「秋田のふぐ」として東京でも知名度があがってきました。この辺りではだんだん定着してきたけど、他県の人にももっとアピールして知ってもらいたいですね。
せっかく今16回目まできているので、あとは若い人たちが続けていきたいと思えばやるだろうし、そうじゃなきゃやめるだろうし。それはそれでいいと思っています。強制したって心が折れれば終わりだからね。私はしつこいから途中でやめられないのよ(笑)。麻雀大会は96回目だし、ゴルフコンペは36回目。30年やってるの。
───それはすごいですね!
ふぐはぶーぶーと鳴く
取材班は、生きているふぐを見たことがありません。普段買い付けをしている漁港へ、畑中さんが特別に連れていってくれました。
畑中:ふぐは体がぷよんぷよんしてて、速く泳げないのよ。それでも毒を持ってるから食べられることがない。
ふぐが何食べるか知ってる?貝をかじって食べるの。だからふぐにさわったらかじられるから、気をつけてね(笑)。
───じゃあ、こっそり持って帰れませんね(笑)。
畑中:あら、ふぐ寝てるわね。起きろ、起きろ!(水をかける)
───(笑)…あ、泳ぎだしましたね。
畑中:ふぐは叩くと「ぶー、ぶー」って鳴くの。知ってる?漢字で「河豚(ふぐ)」って書くでしょう。豚みたいに鳴くからなのよ。
───たしかにそうですね!ふぐが鳴くイメージなんてなかったので、びっくりです。
土崎のふぐを「北限のふぐ」として広めた
───土崎では、とらふぐのことを「北限のふぐ」と呼んでいますよね。北限のふぐはどこで獲れるんでしょうか?
畑中:ふぐの産卵地は、土崎と江川漁港の間にあります。秋田県で一番とらふぐが揚がるのが江川漁港です。
北限のふぐの強みは、海が冷たいから味がぎゅっと凝縮されて、おいしくなること。弱みは冬に海が荒れると漁に出られないことですね。
ただふぐに限らず、全体的に魚の量が減っているので「放流が必要だ」ということで、県が予算をつけてくれて、放流事業もやっています。
とらふぐはほとんど捨てるところがありません。本当に内蔵だけ。頭も骨もヒレも、出汁にして食べられますからね。ほかのふぐは頭を捨てなきゃいけないから、1/3ぐらいになっちゃう。
───コスパがいいんですね。「土崎みなとふくまつり」のメニューで白子豆腐をいただきましたが、すごくおいしかったです。
畑中:今の時期(10月)は空っぽだけど、12月から3月ぐらいまでふぐの白子が食べられるようになります。100gで6,000円ぐらいかな。でも白子はがぶがぶ食べるんじゃなくて、ちょっと食べるぐらいでいいのよね(笑)。
───ふぐを食べると毒にあたるんじゃないかと心配する人もいそうですが…
畑中:ふぐの毒の致死量は2kgと言われています。とらふぐの毒のほとんどは内蔵にあるので、しっかり処理すれば問題ありません。ほんとは身にも多少毒は含まれているんだけど、一度にそんなにたくさん食べる人はいないから(笑)。毒があるおかげで、悪くなりにくいんですよ。
───なるほど。北限のふぐという名前の由来は何なんでしょうか?
畑中:当時の秋田市長(※佐竹敬久氏)が秋田県知事になったときにね、北限のふぐってつけてくれたんですよ。それを私があちこちで言って歩いて広めたの(笑)。産卵地がここにあって、とらふぐが獲れる場所としては北限(最終地点)だからよって説明して。そしたら、近くのホテルまで「北限亭」ってつけちゃった。
秋田には「北限の桃」とか「北限のお茶」もあるんです。温暖化の影響で、これから北上していくかもしれないけど。だから早めに商標をとっておくのがいいでしょうね。今後北限という言葉が「使えない」とか言われたら悔しいから、やれるだけのことはやっておこうと。
ふぐはこのあたりの海沿いの、みんなの資源なんですよ。だから「北限のふぐを食べに行きたい」っていう意識になってもらいたい。今で10年になるけど、当初はもうちょっと進んでるイメージでした。だから全国区にするには、あと10年はかかるのかなと思っています。でも私はあと10年はやれないから、あとは若い人に頑張ってもらいたいですね。
土崎を「通りすがりの町」にしたくない
───土崎というまちについて、考えていることはありますか?
畑中:土崎は、県と市で客船の誘致に力を入れています。年々その数が増えている。そのために今埋め立てを進めています。
船のお客さんや乗組員・スタッフが1,000人〜3,000人くらいいるとして、半分は角館や大館など行き先が決まっていて出かけてしまう。そうすると、土崎はただの「通りすがりの町」になってしまうんですよ。それじゃもったいないでしょう。
だから半分残ったお客さんに、ちょっとした「まち歩きツアー」を提案する、ということを考えています。5年後には形になっているんじゃないかな。
───ああ、それはいいですね。
土崎にあるポートタワー セリオン
畑中:たとえば、去年から日本丸っていう客船が土崎に来てるんです。竿燈に合わせて予約を入れてくれて。
そうすると、「土崎でふぐを食べたらおいしかった」という声が、船に乗った人たちから広がっていくでしょう。そして来た人がセリオンでおみやげを買って、土崎でご飯を食べてってなるのが理想です。
せっかく環境があるんだから、それを生かした土崎らしい町づくりをしていって欲しいですね。もちろん、飲食店でも受け入れ体制を整える必要があると思います。
外国では、ふぐは「毒のある魚を食べるなんて信じられない」と言われるんです。でも船に乗った人が食べてくれて、少しずつ広がっていけばいいなと思いますよ。
───土崎の好きなところはどこですか?
畑中:土崎の人は気性は荒いけど(笑)、はっきりしている人が多いから好きですね。
あとはやっぱり、港まつり。お盆には帰らなくても、まつりのために帰ってくるという人もいるほど、地元に根付いているんですよ。
土崎の場合は、秋田を離れず地元に残る人も多いです。
夏の海に沈む夕陽もとってもきれい。海を見るとほっとしますよ。
秋田は四季がはっきりしているから好き
───それでは、秋田県の好きなところも教えてください。
畑中:秋田は、四季がはっきりしているところが好きですね。山も里も海も、季節ごとに食べられるものが変わる。「白帆旬楽会」というのをやっていてね、おいしいものを食べる会です。
角館のしだれ桜とか、大曲の花火もいい。大曲の花火は、25年間ぐらい毎年ツアーを組んで見に行っていました。
あとは冬がきついから、虫が死ぬのがいいね(笑)。虫嫌いなのよ。
───今後やりたいことはありますか?
畑中:今までは仕事が好きで、仕事ばっかりしてきました。遊んだことがないんですよ。あと5年で70歳になるから、そしたら70歳から遊びたい!お父さんと日本じゅう旅行したり、大好きなゴルフをしたり…。
だからあと5年で、自分にやれることは全力投球してやっていきたいですね。
───畑中さん、ありがとうございました。
土崎という町のために 編集部あとがき
畑中さんは、ふぐへの偏見が根強かった時代から、第一線でふぐを取り入れた料理や加工品を手がけてきました。「北限のふぐ」というネーミングや土崎みなとふくまつりを通して、土崎だけでなく秋田県全体、さらに東京へと、土崎のふぐを広めることに力を尽くして来られたことがわかります。
白帆の経営を退いてからも、仕事に趣味にやることが多く、毎日忙しい!と話していた畑中さん。お話してみて、バイタリティあふれる魅力的な女性だと感じました。
畑中さんがこれまで暮らしてきて、そしてこれからも暮らしていく、土崎という町。そのためにふぐを役立てたいという強い想いが、畑中さんの原動力となっているのかもしれませんね。
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